反貧困と語る ~医療・社会保障の再生を目指して~
協会・医療費の窓口負担「ゼロの会」は4月5日、「対論・ゼロの会~反貧困と語る」を開催。NPO法人自立生活サポートセンター「もやい」事務局長であり、「派遣村」村長としても活躍した湯浅誠氏を招き、当会の野本哲夫理事と対論した。映画『シッコ』上映会との二部構成で行った。今号では、その発言要旨を掲載する。
保険医協会理事 野本哲夫理事
NPO法人自立生活サポートセンター「もやい」事務局長
「派遣村」村長 湯浅誠氏
対談 :野本哲夫理事 湯浅誠氏
野本
私は地元の横浜市大を昭和48年に卒業、当時は稀な「一般内科」コースを選んだので、卒後すぐ大学から市中病院に出ました。公害地帯の勤務が長く、専ら公害喘息が中心ですが内科系全般をやってきました。「ゼロの会」との呼称ですが、日本語では窓口負担「解消」。「無料」の会でなく「解消」の会、これを象徴的に「ゼロ」と表しています。国の医療「改革」の度に、患者・医療者双方に不都合が生じている。「医療崩壊」は既に認知されたが、その前に患者さんにとって一番由々しい事態、医療を利用できなくなっています。
「受診控え」に関する民間シンクタンク調査では、イギリス3%、カナダ5%、皆保険でないアメリカが24%。一方、日本は「医療保険」だらけなのに約3割、年収300万円未満では約4割に達します。恐らく、湯浅さんの「貧困」の話と共通する所で、失業や不安定雇用を背景に、医療にかかれない方が急増し、数字にも表れている。私ども医療機関には、医療にかかれる方しか来ない。よって、本当の意味での実態、そういう方々の声がどのくらい把握可能かとなると非常に心許ない。全日本民医連の調査結果ですが、保険証の問題による死亡事例を公表している(別表)。氷山の一角だが、この事例を私どもは勉強した方が良いのではないか。
もう1つは「派遣村」でも話題になった結核の流行です。新規発症が減らず、増加傾向にある。この様な重大な結果が出て、私たちは初めて状況が把握できる。医療機関に来られない方々の状況を掴み、いかに連携・連帯し、必要な手助けが出来るのか。大きな課題だと思っています。映画『シッコ』をご覧になると、皆さんもやはりヨーロッパ型が良いねと。しかしそれは夢物語で、近づくだけでも財源がないとの話が出ます。いずれにしても、「良い医療」を追及すれば、現在の医療費は上がる。どこに財源を求めていくか、私たちも一生懸命に勉強中です。現行医療費の構成割合は、国庫24・7%、地方自治体11・9%。地方負担も内実は私たち住民と企業が払う税。企業の保険料20・2%、国民の保険料28・8%、患者の窓口負担14・4%。これは、入院も含め実額で4兆7千億円。これを究極にはゼロ、もしくは限りなくそこに近づけるだけでも相当違う。保険料滞納の問題等も感情論的にならず、とにかく病気ならば診てもらえる、まずはそういう国にしようという事です。
保険料負担で見ると、日本は8・2%で労使折半(旧政管健保)、労使比率など違いもあるがフランス13・85%、ドイツ14・6%。しかし、日本の国民健康保険は平均9・17%(当会推計)で、全額自己負担のため非常に重い。ですから、サラリーマン家庭の感覚がそのまま通用しない、国保に大きな矛盾が集中している。一方、健保組合つまり大企業はどうか。料率平均7・3%で企業4・0%、労働者3・2%だが、財政状況に応じ最低3・12%~最高9・62%と3倍以上の開きがある。自社の負担感だけで物事は正しく見られない、お隣は正反対のケースもある訳です。
昭和30年~平成16年の医療費グラフを見ると、毎年増加していますが、この傾向は世界共通でGDPとの相関です。窓口負担ゼロでは「医療費が増えて仕様がない」と意見が常に出ますが、グラフを示し「ゼロになった年はどこか?」と尋ねても誰も分からない。老人医療無料化が昭和48年、健保本人はそれ以前からゼロです。48年に一旦大きく伸びますが、手控えの方が受診出来たからで、それ以降は突出して伸びる事はない。医療費全体には影響ない水準だった訳です。対前年度伸び率のグラフでも、やはり無料化の年に伸びても、翌年から下がり始め、手控えの患者さんが一通り受診できると、数年で元に戻ります。以降は、いわゆる「自然増」で人為的増加ではないのです。
湯浅
資料の新聞記事に「派遣村」で50人を診た医師の話があります。「保険証所持は10人以下、お金がなく受診せず症状を悪化させた人ばかり、これで国民皆保険と言えるのか」嘆いたと。通常、「もやい」の相談日には、今日明日生きていけない、食べていけない方が数多く来ますが、保険証のある人にまず会った事がありません。
ご存知の様に「派遣村」は、テレビも騒いで「えらいことだ」となりましたが、それ以降はマスコミ報道も沈静化。年度末危機と言われながらピンと来ない、そういう雰囲気が感じられます。派遣村のような場がないため少し見えづらいですが、基本的には全く変わらず、むしろ深刻化している。例えば、「もやい」の相談日には電話100件程、回線がパンク状態です。直接の来訪も毎回30人程で、ボランティア団体で対応しきれない。具合が悪く寝転んで待つ人もおり、見学者曰く「野戦病院」です。労働組合や「いのちの電話」などの支援場所も同様ですが、朝から晩までテレビが流さないので、なんとなく危機感がない訳です。そこには、良く言われる想像力の問題もある。
派遣村にも、担当医が「初めて」と驚く重度の結核患者が来ました。ずっと排菌状態なのに、対応を国に要望しても「そいつら甘やかすな」と放置される訳です。病気も放置するほど重症化し、治療の段にはより多くのお金と時間もかかりますよね。結核に限らず人間も同じ。使い棄てられ、放置され、疲れ果てて行けば行くほど、じゃあ寝場所を確保し就職活動しましょうと言われても、すぐに働ける状態にはならない。社会復帰まで非常に長い時間とコストもかかる。これは社会的にも不幸なことで、本人だけの問題ではない訳です。
「派遣村」終わると通常モード、縦割り行政の壁も
生活困窮者は増加の一途のため、私たちは派遣村以降ずっと、緊急宿泊施設の全国規模での設置を求めて来ました。国への要望書提出から既に3ヶ月、何も動いていません。会社寮等の空室利用で、駆け込めるシェルターを作り生活の下支えをすれば、社会復帰も早くコストも低い。試算では、全国で1万戸用意するのに約60~70億円。政府の追加経済対策10兆円規模の0・6%。一連の経済対策では0・1%程です。不動産情報を見れば、会社寮などが一斉に賃貸に出て、大家は借り手がなく困っている。月に数百万円で、何百戸でも確保できます。私は「溜め」と呼びますが、この層は大企業と違って余裕がありませんから、すぐ対応しないと本当に生きていけない、むしろ緊急性は高い訳です。僅か0・1%程の予算をこの層にも振り向ける、別に不合理ではないはずです。
大企業にも中小企業にも、特に経営責任も問わずに、経済危機だからと公費を投入している。なぜ、最も生命の危険に晒されているこの層だけ、「こいつら甘やかすな」「自分で努力したのか」と問い詰められるのか。そう言い続けて来ましたが、「派遣村」が終わると結局、通常モードに戻ってしまったんですね。
国は「年度末が大変、住宅の確保を」と自治体に言う。しかし自治体は、「集まって来るから」「議会・地域住民の理解が得られない」と動かない。すると国は「指示したから」、自治体は「国がリーダーシップをとるべき」と。年末年始は一種のパニック状態で、厚労省も旧厚生省系とか旧労働省系とか、国・自治体も含め枠を超えた対応があったが、やはり通常モードでは縦割り行政の壁に行き詰る。先日も藤沢からSOSがあった。鎌倉の寮を出され、藤沢市役所で生保申請したら、寿町は受理するから中区に行けと。中区役所は「藤沢に責任がある」、藤沢に戻ると「鎌倉に戻れ」と言われ、鎌倉では「現在地保護で居住地は無関係、藤沢に行け」。藤沢では、再び「寿町に行け」。そこで埒があかず、色々調べて「もやい」に連絡が来た。藤沢市に「現在地保護ですよね」と電話すると、「そうです」。しかし、一旦切ると本人には「中区に行け」と繰り返す。こんな事が毎日、全国各地で起きている。
彼は言っていました、「とにかく体を横にしたい。それだけ」。それすら叶わず、最低限の生活が成り立たないから、心身がボロボロになって行く。「棄民化」という言葉があります。しかも、将来の日本社会を担うべき20代30代です。一体誰が、この社会の将来を担うのか。日本の将来が心配と皆が言いながら現実には次世代を日常的にどんどん使い棄てている訳です。
次世代が再生産されない...
3月末に生活保護を申請した36歳の人も、中学卒業後に北海道で家業の酪農を手伝いますが、事業が頓挫し一家離散です。当然、地元に職はなく派遣です。2年半真面目に働いても、昨年11月10日「お前の仕事はない」、20日に打切り、30日に寮を出されます。経験も酪農と派遣のみで、法的知識もないため違法の中途解約とも知らず、新たな派遣労働先もない。今日明日を凌ぐ収入のため、彼は闇サイトで日給1万円の仕事、偽造免許証での携帯購入依頼を受けますが、朴訥なのですぐバレる。拘留3ヶ月、執行猶予が3年ついて相談に来ました。
残りの人生が50年。本人も社会にも実りある形で、働いて税金を納め、家族を形成し次世代を育てるには、どうすれば可能か。この社会は、「本人がもう少し努力すれば」「犯罪に走るのがいけない」で終わり。基本的に誰も考えようとしていないですね。それは本当の意味で、皆が社会全体の利益を見失っているのではないか。
何とかしようと、4月8、9日に再び「派遣村」をやりますが、平日なので相談者を役所に橋渡しする訳です。しかし、東京都はいま新規の相談者を追い返し、「派遣村」用に施設を空けて、その場だけ凌ぎ取り繕うとしている。こんな国に生まれ情けない、私はそう思っています。医療費の問題も勿論ですが、教育にしろ就労雇用にしろ、その様な世の中を変えないと次世代が再生産されない、人間が育たない社会になってしまう。すると、誰がこの社会を支えていくのでしょうか。そこが、とても疑問に思う所です。
(対論より)
野本
国公立大学では、「社会保障」という講座、その言葉自体が消えたそうです。私たちが当たり前に聞いた考え方を、今の大学生は触れずに巣立っている様です。また、大学生に対する親の金銭的支援に関して、二極化しているそうですね。
湯浅
似たような事例を、活動家という視点からも感じますね。何かどうしても我慢できない不合理に直面した時、どうやって吐き出したら良いのか、社会に伝える方法を皆が知らない。例えば、記者会見はどう開くのか、デモや集会はどう行うのか。それで自傷行為など、自分自身に向かう面もあるのかなと思いますね。
大学生の二極化については、金銭的支援がある人も、親として余裕はないが、子供に不憫な思いはさせたくないから無理する訳です。でも入学すると、日本の大学の学費は、医療費と似て自己負担が世界一高いですから、この学費負担の問題に直面してしまう。奨学金では昔の育英会、現日本学生支援機構が一般的ですが、今は利子付きなので、卒業する4年後には借金が300万円程度、そこから社会人生活がスタートする訳です。就職戦線も厳しく非正規率も増え、十分な賃金が将来的に約束されてはいない。返済の問題が出てくる。さらに日本学生支援機構は、催促を債権回収会社に委託しています。3ヶ月滞納で信用情報に掲載されるので、カードは作れずローンも組めない。そうやって生活が成り立たない人を増やしている。昨年9月、ワーキングプアの調査でアメリカに行きましたが、まさにそうでした。学生が膨大な借金を抱えると、学資ローンを肩代わりするよと軍隊が待っている。そんなイラク帰還兵にも会いました。このままだと、日本もそうなるのではないでしょうか。
将来不安を絶てば、天下にお金が回る
野本
私たちの多くが、正規雇用の勤労世帯しか経験していない中で、異なる事情をどれだけ理解できるでしょうか。底辺の状況を掴み、医療機関や生活保護、あるいは就労に繋ぐ。ただ、生活保護でも、そこに医療需要が産まれる。目前の困窮者を救う対症療法では、費用面だけ見ると膨らむ一方ですよね。それを産み出さないために何をすべきか、同時に社会的な仕組みを追及する必要がありますね。
湯浅
はい。ただ一方で、日本の貯蓄率は1400兆円とも言われます。これは将来不安、特に高齢の方は医療不安が大きいのでは。病気になれば医療費がかかる、とにかく自分で防衛しないと誰も助けてくれないと思うから、貯金に手は着けられず、消費も伸びない。まずは将来不安が解消され、世の中にお金が回れば税収も増え好循環にもなる。今より消費税を何%増税との話だけでない面も、実は数多くある気がします。
野本
定額給付金2兆円で、75歳以上の医療費を数年間、入院も含め無料にできます。お孫さんへのお年玉も増え、若い世代を通じてお金が天下に回ります。
今の窓口負担では、定額給付金2万円程度では自分の将来不安に備えてしまうのでは。このお金の問題は日本人特有ですね、「タダはろくでもない、悪さする奴がいる」との考えが根強い。老人医療費無料化時代も含め、医療費の増加原因は自然増です。病気でないのに、わざわざ薬をもらい、腕を出して採血される人はいません。人間ドックも、健康な人は意外と少なく、数万円も負担して受診するのは何か不調を感じている人。受療行動というのは、皆さん人間として素直になりますね。悪さするのは、当たり屋だけでしょうか。
政治は世の中を見ている、世論が「自己責任論」から脱却を
質問者①
藤沢でも、海岸沿いの松林や駅前など、ホームレスの方がいます。「派遣村」の事例もあり、周囲でも何か相談活動が出来ないかという機運があります。その時、どうやって該当者に伝えれば良いか、広報手段がありません。お願いできるマスコミ関係者もいないので。
湯浅
藤沢では、藤沢カトリック教会を拠点に、「きずな」というNPO団体が、定期的な夜回り活動や路上生活者支援をしています。まずは、その方たちと連携されるのが、一番スムーズに情報も伝わると思います。
質問者②
派遣村の活動に共感していますが、先月電車の中で、派遣村のボランティアらしい男性3人が「派遣切りでない働く意欲のないホームレスが来るのは問題」と話しているのを聞きました。ボランティアをするような意識の高い人のそのような言葉に、ガッカリしました。
湯浅
大晦日の派遣村開設式で、こう言いました。ここには派遣切りだけでなく、私が「元祖ワーキングプア」と呼ぶ、それ以前から野宿状態の人も来る。野宿問題の始めは90年代半ば、バブル崩壊で一斉に切られたのです。
私は支援活動を始めていましたが、60年代に「金の卵」として上京、ずっと道路や橋やビル建設を支えた日雇の人が50代になっている。年齢的な理由とバブル崩壊が重なり、一斉に解雇され路上に出てきました。従来は就労し、今はホームレス状態という点でも、両者に区別はない。それを区別しようとする人々がいたとしても、事実は違う。全ての人を受け入れるようここで確認しましょう、そう話してスタートしました。
残念ながらボランティアも1800人超、その都度話す暇もなく、徹底されない人がいたかも知れない。けれど、路上の人も生きるには僅かでも現金が必要。アルミ缶とか古本とかご存知ですね。8時間で15<CODE NUMTYPE=SG NUM=831C>取れたら優秀ですが、<CODE NUMTYPE=SG NUM=831C>70円換算で1千円。飯喰うお金を作るために、一晩中そうやって働いている訳です。そういう問題も見て欲しいとは思いますね。
野本
俗に言うセーフティネット、最低限の安定的な生活ができる社会を、日本は構築していないとの告発ですね。医療も含め、これを社会の仕組みとしてどう変えていくかという問題、答えは出ますでしょうか。
湯浅
もう少し「いい加減にしろ」という声を、政治に対して社会が出さないといけない。もう1つは、世論がどうしても「自己責任論」的では、フリーター対策でもニート対策でも、何をしても政策自体が「自己責任論」的になります。世論の支持を得られませんから。国会議員は落ちたら「ただの人」で、世論が支持する政策をしたい訳です。
だから、世論のベクトルがもう少し明確になれば政策もそうなる、若干その兆しが見え始めた。医師不足も派遣労働も、さすがにまずいという世論の合意で、物事は少しずつ動き出す。
そう考えると、生活や職場とか私たちの周囲が主戦場だと思うんですね。身近な場所で、意見を広め議論する事なく、「政治が悪い」といくら言っても、そりゃ政治は世の中を見ていますから。著書にも「ウルトラの近道はない」と書きましたが、考えを広めていく中で世論を少しずつ変えていくしかないんじゃないかと。
企業の首に鈴をつける人がいない、保守層こそ危機感を抱くべきでは
野本
「ゼロの会」も同様でして、この理解者をどう広めていくか。その障害となる難しい層の1つが、「小金持ち」(会場笑)。少し余裕があると、3割くらい負担しないと医者にかかり過ぎて困るとか、急に人間が小さくなる。
自分が払えても隣が払えないなら、払えない理由があり、それを救える社会をどう作るか、それがヨーロッパ型。イギリスでは炭鉱経営の大金持ちが、国家権力に訴えて労働者の疾病対策を始めた。アメリカでも、AIGの役員ボーナスを取り返す法案を通過させた。どの政党に期待しても無駄と言うけれど、正しく国家権力を行使すれば大胆な政策も可能という歴史がごく最近まである。今は経済危機で不可能との声が多いですが、恐慌の中でも失業対策など、ヨーロッパでは福祉国家が成立していますね。
湯浅
詳しくはないですが、向こうは医療費だけでなく学費も無料。また、医療・年金を除く社会保障費だと独仏の8分の1程度、ここが失業保険や職業訓練で異様に手薄な訳です。スタートで出遅れると、一生是正されない。データで見ると、15~24歳の男性で非正規と無職の合計が44%、ほぼ2人に1人。中卒女性になると、これが89%になる。この年齢層は職業訓練を受けられず、部品の様な働き方で仕事を通じて自分の成長を実感できない、アイデンティティが確立できない。そんな若者世代をいま大量に産み出している。この人たちが40歳でコロっと変わり、バリバリ働き社会を牽引する存在になる訳がない。日本社会の将来について、本来はもっと保守層が危機感を抱くべきなのですが...。日本は資格取得も駄目です。なぜなら、資格評価が企業の言い値だから。この資格はこの給与で必ず評価される、そういう社会的な規制力が働いていない、何でもそうです。企業の首に鈴をつけられる人がいない。
ヨーロッパ型と言うと、保守層と考え方が対立すると捉えがちだが、一体誰が損をしているのか、もう一度よく考える必要がある。その点では、日本がこれまで範としたアメリカがコケた。アメリカばかり目を向けても仕方ないことは、誰にでも分かって来ている。もう少し世界を広く見渡して、良い所を取り入れる。発想を転換させなきゃいかん、そう思いますね。
(文責 協会・医療運動部会)